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Jun 10 2006
■18)コミュニケーション力
こういう良本に出合えると、嬉しくなるんだよねぇ…
この題名の通り、コミュニケーションに必要なテクニック、作法、方法論、思考などが山盛り盛り込まれた、コミュニケーションの知恵袋。
人とのコミュニケーションを意識する必要のある人
~付き合いの範囲を広げたい人、仕事を一歩進めたい人、就職活動な人(←うち)
にこれほどまで指標と知恵を与えれくれる本はないと思う。
■
禅問答的な抽象的論法は世の中にいっぱいある。
半ばご老人の説教のような、背景が見えない“態度論”もある。
この本は、そんないまいち雲を掴む様な話じゃない。
「コミュニケーション力」と自分でハードルを上げるようなタイトルを付けておいて、しっかりと跳躍している。しっかりと読者である自分とコミュニケーションしていた。
あぁ、覚えられるようならば全文覚えたい。勿論それを自然体で実践したい。
よく考えれば当たり前なんだけど、コミュニケーションも練習し学習し習得する一種のスキルなんだ。そういうことを感じさせられた。
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例えば、いじめ問題やニートなんかの話題がでると、TVで話すような人は必ず「最近の若者は、人とのコミュニケーションが下手」だの「昔は自然と見に付いた」だの言っているけど、その言葉があまりにいい加減なことが良く分かる。
ありとあらゆることが、時代と共に変化する。そりゃ確かに変わらないこともあるかもしれない。でも明らかに人は変わっている。価値観も、学習レベルも、情報量も、手段も、コミュニケーションに大きく影響を与えそうなものは、変わらないどころか最も変わっていると言ってもいい。
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今日、爆笑問題の番組でNEETを話題にしていたが、変化を実感している人とそうでない人の差が顕著に現れていてとても面白かった。その上、実感していない人はびっくりするほどに変化を微塵も感じていない。根本的に話が合わない。どこが違っているのかすら分かっていない。挙句には違うことを笑っていた。いや、あざけ笑うという行為でしか反応できない。そんな笑い方。
日本人だけじゃないだろうが、昔のコミュニケーションは“同じ”ということを共有し確認するための行為だと言える。今は“違う”ということが前提で、どう違うか?を模索する行為だと思う。相手がどちらの人間なのか?を見極めるのがとても面倒なのだが、“同じ”を共有しようとしている人に“違う”という要素をぶつけると、大概パニックを起こす。どう話していいのか分からなくなったって感じ。それを突き詰めると、結局怒る。だからその先の話ができない。
対して、どう違うのか?を探してくれる人は、違う点が見つかればその先を探そうとする。“違う”を感情と区別してくれる。だから怒らない。
■
コミュニケーションを後天的学習スキルと認識し、この本にあるようなことを教えること(理想的には、教えられるんじゃなくって自分で考えて見つけられる)が何よりも必要なんだろう。自分は物凄くコミュニケーションが下手だとつくづく反省しているが、もっとも教えてほしかったのは、こういうことだったと読み終えたとき実感した。
まず、世の先生という肩書きの人に読んでほしい。
- by KOu
- at Jun 10 01:32
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KOuさん、こんばんは。
読んだ時に、コメントしようと思っていたのですが、次の投稿がアップされちゃいましたね(笑)。
>“同じ”を共有しようとしている人に“違う”という要素をぶつけると、大概パニックを起こす。どう話していいのか分からなくなったって感じ。それを突き詰めると、結局怒る。だからその先の話ができない。
”同じ”という前提は、日本人の当り障りないコミュニケーションの不文律みたいなものですね。
同じ業界の狭い枠に止まっていると、ますますその傾向が強まるような気がします。
そういう意味では、ネット上の偶発的出会いは"違う"が前提となる要素もあるかな?とも思ったりして。
ちょっと違う例ですが、こんな"同じ"もありますね。
周囲とは"違う"を認識している同士が、お互いを"同じ"として認める、みたいな。
まとまりのないコメントになってしまいました(汗)。